長野地方裁判所 昭和63年(モ)183号 決定 1992年2月17日
長野県下伊那郡上郷町飯沼三四六五番地
申立人
唐沢穣
右代理人弁護士
毛利正道
同
松村文夫
長野県飯田市江戸町二八九番地一
相手方
飯田税務署長 山本孝志
右指定代理人
渡辺和義
同
佐藤鉄雄
同
棚橋新作
同
服部重雄
同
竹村政男
同
金子秀雄
同
水野浩
主文
本件申立を却下する。
理由
一 申立人(原告、以下「原告」という。)の文書提出命令申立の趣旨及びその理由
別紙1及び2のとおり。
二 相手方(被告、以下「被告」という。)の意見
別紙3のとおり。
三1 原告は、本訴において、比準同業者(被告の昭和六一年一〇月三〇日付準備書面別紙1ないし3に表示のA、B、C、D)の昭和五四年分ないし昭和五六年分の青色申告決算書(以下「本件文書」という。)が、民訴法三一二条一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」に該当する旨主張するが、被告が本訴で引用しているのは、被告が作成した乙第二号証の同業者調査表であって、被告は、これにより推計の適法性及び合理性を立証しようとしているものであり、同業者調査表の作成の根拠となった当該個人が提出した青色申告決算書自体は引用していない。「所得税青色申告決算書を提出していた者」というのは、右同業者調査表を作成するにあたって、一般的概括的に「所得税青色申告決算書を提出していた者」に限定して採用した旨を述べているにすぎない。
したがって、本件文書は、被告の引用文書とはいえない。
2 また、仮に本件文書が引用文書であると解し得る余地があるとしても、被告は、国家公務員法一〇〇条一項及び所得税法二四三条により、守秘義務を負うので、民訴法三一二条所定の文書提出義務についても同法二七二条、二八一条一項一号等の規定を類推適用すべきである。
そして、本件文書中には、同事業者四名の個人の秘密に属することが記載されていることは明白であり、これは被告が公務員といて職務上知り得た秘密に他ならないから、被告には本件文書の提出義務は存しない。
3 なお、原告は本件係争年分に係わる青色申告決算書のうち、氏名及び住所のうち市町村名以外の部分ついては、被告において隠したうえで提出することも可であると主張する。
しかしながら、文書提出命令の対象となる文書は、そのままの形で現に存在するものでなければならず、現存文書に加除変更を加えた上で、その文書を提出すべきことを命ずることは許されないものというべきところ、原告が提出を求める文書を被告が現に所持していないことは明らかであるから、本件申立は、この点からも理由がない。
そうすると、本件文書提出命令の申立はその理由がないから、これを却下することとし、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 前島勝三 裁判官 菊地健治 裁判官 中山直子)
別紙1
記
文書提出命令申立書
一、文書の表示
被告準備書面(二)において、原告の所得を算定する基礎となった四名の比準同業者が被告に対し提出した本件係争年分に係わる青色申告決算書(そのうち、氏名並びに市町村名以外の住所については、被告において隠したうえで提出することも可)。
二、文書の所持者
被告
三、文書の趣旨及び証すべき事実
1、所得税法第一五六条は、推計によって更正をなすには、事業規模・内容の類似性を考慮すべきことを要求していると解される。この見地から、本件において比準同業者を選択することについては、なるべく原告の事業内容と類似性を持つ同業者を選ぶよう努めるべきである。
しかるに、本件において被告が主張するところによれば、
<1> 比準同業者がわずか四名しかないのであるから、右四名と原告との類似性についてはより慎重な考慮が必要であるにもかかわらず、
<2> 比較の基準となる売上高について、一般的に適用されている倍半基準すら満たさない同業者が、「ないし二名(この場合は半数にもなる)おり、
<3> その一方、国税不服審判所における記録閲覧によって判明している四名の同業者の特別経費控除前所得(原告第二準備書面別表(一)B)と、本訴において被告が主張する同業者の専従者給与控除前所得(同別表(一)C)との差額をみると、四名の同業者ともに特別経費が百万円未満である。したがって、給料賃金も当然百万円未満であり、国税不服審判所の裁決によって判明している原告の給料賃金・従業員数とは大きな違いがあることが判かる。土地家屋調査士の事業形態からみて、この常用従業員雇用の有無・人数の違いは、事業内容の類似性に大いに疑問をいだかせることになる。
従って、本件における比準同業者の類似性については大いに疑問があり、ぜひとも同業者の経営内容の詳細を明らかにし、更に類似性の有無について慎重に検討する必要がある。
2、よって、本件において公正な判断を下すには、どうしても青色申告決算書を法廷に顕出することが必要である。
なお、原告が、把握している事案のうち、青色申告決算書が提出された最も新しいケースは原告が勝訴した大阪地判昭六〇・九・二六(判タ六〇七・六二頁)である。
四、文書提出義務の原因
本件で提出を求めている文書は、被告が準備書面(二)六丁において「所得税青色申告決算書を提出していた者であること」と引用している。よって、民事訴訟法第三一二条第一号に該当する。
別紙2
文書提出命令申立補充書
一、原告が青色申告決算書提出命令を求めるのは、基本的には、乙第二号証同業者調査表が事実当該同業者の青色申告決算書どおりの内容であるか否か大いに疑問があるからである。
二、特に修正申告の場合は疑問がある。乙第一号証によれば「決算書の金額については、修正申告によって異動した場合は、その異動後の金額によるものとする」とあるが、牧内秀幸証人によれば修正申告の場合は、青色申告決算書の添付を強制されていない。また、現に新井健司の場合は、(差し換え後の)甲第二九号証の一三の修正申告書を提出するについて、青色申告決算書を提出していない。この場合は、決算書上は、異動後の金額不明ということになり、乙第一号証の要件を欠くことになってしまう。
また、牧内秀幸証人は、修正申告書の裏面に修正事項を書くようになっているというが、しかし、現に新井健司の甲第二九号証の一四のとおり、その裏面に、結論としての所得金額(青色申告決算書上の<34>のいわゆる持前所得ではなく<48>の所得金額である)だけ書いて出すことも少なくない。
このような場合は、修正申告にかかる「収入金額」「<34>の所得金額」は不明確なままである。この不明確なものが、どのようなプロセスを経て、乙第二号証に確定的な数字として記載されるものか全く不明である。
三、乙第二号証の昭和五五年分Aの数値には重大な疑問がある。
1、昭和五五年分Aは、新井健司である。
その理由
(一) 被告が国税不服審判所に提出した文書を原告が閲覧し、これをその代理人竹内哲雄がメモしたところ(甲第三一号証)によれば、収入金額が、乙第二号証の昭和五五年分Aの九、〇六八、九二〇円と同一の同業者は、Cであるところ、同人の特別経費控除前所得(これは裁決書によって明らか)は、
五、九二四、六八三円
となる(この数値は、この修正申告に係わる問題が表面化する前に既に原告第二準備書面添付別表(一)で記載してある)。
このように、昭和五五年分について、審査請求段階の同業者Cと訴訟における同業者Aは同一ということは明確であるから、同人の昭和五五年分の特別経費総額は、右審査請求段階の特別経費控除前所得から、乙第二号証Aの特前所得(特別経費控除後所得)を差し引くと次のように明らかになる。
五、九二四、六八三-五、一八一、三四〇=七四三、三四三円
一方、新井健司作成にかかる甲第二九号証の九並びに一一によると、<20>給料賃金、<21>利子割引料、<22>地代家賃、<25>外注費、建物減価償却費(作業置場、事務所改装費)の特別経費を合計すると、ちょうど七四三、三四三円となる。
これによって、昭和五五年分Aは、甲第二九号証を作成した新井健司であることが判った。
(二) 乙第二号証のうち、同業者Bについては、市瀬庄太郎作成にかかる甲第三〇号証との一致からみて、三年分ともに同人であることがはっきりしている。
これからみて、乙第二号証の同業者は、符号が同一である限り、三年分ともに同一人ではないかと推測される。
一方、乙第二号証のうち、昭和五四・五六年分のAが新井健司であることは甲第二九号証との一致からはっきりしている。よって、昭和五五年のAも新井と推測できる。
(三) また、乙第二号証と、別訴桐生健司の件の乙第八号証の二とを比較すると、乙第二号証のCの同業者が乙第八号証の二になると、三年分ともにすっぽり抜けている。これは、同人が収入金額の点で桐生と大きく異なるからである。この点も、乙第二号証の同業者は符号が同一である限り、三年分ともに同一人ではないかと推測する根拠となる。
2、昭和五五年分Aの数値は、決算書・申告書と一致しない。
(一) 昭和五五年分Aである新井は、甲第二九号証の一二のとおり、修正申告書を提出している。そこでは、修正前よりも、所得金額(青色申告決算書上での<48>の所得金額)で一、一二七、九六八円増加し、三、三九二、五三〇円となったことだけが判る。
しかし、この修正申告の基礎となった確定申告書と同時に提出した青色申告決算書(甲第二九号証の九)によると、
<1>収入金額八、七五三、五一〇円
<34>差引金額四、〇六四、五六二円
と記載されている。
となると乙第二号証昭和五五年分Aにおける所得金額は、
四、〇六四、五六一+一、一二七、九六八円(増加分)=五、一九二、五二九円
となるべきはずである(決算書に計算違いがあるか調べたがないようである)。
しかし、実際には、乙第二号証のそれは、
五、一八一、三四〇円
となっている。一一、一八九円のくい違いが出る。
(二) 収入金額の点でも、
青色申告決算書上の数値八、七五三、五一〇円
+
増加分・・・・・・・ 一、一二七、九六八円
=
九、八八一、四七八円
となり、乙第二号証の
九、〇六八、九二〇円
と大きなくい違いがでる(もっとも、この場合は確定申告の時よりも経費が増えていれば矛盾はでないかもしれない。しかし、ここでの問題は、乙第二号証に記載のある収入金額を裏付ける書類がどこにもないということである)。
(三) これでは、乙第二号証の数値を信用しろと言う方が無理である。
3、税務調査がなされると、修正申告で決着がつくことが多い。比準同業者の中には、新井以外にもいずれかの年分で修正申告している者がいる可能性少なくない。ましてや昭和五六年には、かなりの多くの土地家屋調査士に対して税務調査がなされている。
昭和五五年の新井健司の分一件でも、乙第二号証の信用力は著しく欠けてしまった。他にも同様な者がいる可能性少なくないとあっては、青色申告決算書の提出を求める理由として十二分であろう。
別紙3
文書提出命令申立てに対する意見書
原告の昭和六三年七月七日付け文書提出命令申立ては、以下に述べるとおり、却下されるべきである。
一 本件申立てに係る文書は、民事訴訟法三一二条一号の文書(引用文書)該当しない。
原告は、文書提出義務の根拠として民事訴訟法三一二条一号を挙げる。同号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは「引用」の意義からして、当事者が口頭弁論等において、自己の主張・立証のためその内容及び存在を積極的に明らかにした文書を指すものと解される。
しかるに、原告が提出を求めている「原告の所得を算定する基礎となった四名の比準同業者が被告に対し提出した本件係争年分に係わる青色申告決算書」なる文書(以下「本件文書」という。)について、被告は、準備書面又は口頭弁論においてその存在・内容等を引用したことは全くない。
原告は、被告が同業者を抽出する際の基準として「所得税青色申告決算書を提出していた者」を採用した旨を述べたこと(昭和六一年一〇月三〇日付け準備書面(二)の第一、一、(2)(一)2)をもって、右「引用」に当たるという如く主張する。しかし、被告が右基準設定の条件として掲げた「青色申告決算書」が、特定(抽出四業者)の青色申告決算書そのものすなわち本件文書自体を指すものではないし、被告の主張は、あくまで同業者調査表に基づくものであるから、原告の右主張は無理なこじつけ以外の何ものでもなく、本件文書が民事訴訟法三一二条一号所定の文書に該当するとの原告の主張は失当であるといわなければならない。
二 秘密保持の要請により、被告は本件文書提出義務を負わない。
仮に、同業者調査表に基づく被告の主張が本件文書の引用に該当するとしても、被告は、本件文書につき守秘義務を負っているのであるから、右文書の提出義務は免れ得るというべきである。
すなわち、本件文書は被告が抽出した納税者の青色申告決算書であるところ、私人の所得金額等の申告内容は他人に知られることを欲しない個人の秘密に属するものと解され、右申告内容は、被告が所得税の調査に関し職務上知り得た事項であるから、これは国家公務員法一〇〇条一項にいう「職務上知ることのできた秘密」及び所得税法二四三条所定の「その事務に関して知ることのできた秘密」にあたり、被告は守秘義務を負うものである。
右の点について、更にふえんすると、既に述べたように本件文書は、いずれも納税者が提出した書類であり、これらを公表することは国家公務員法一〇〇条、法人税法一六三条、所得税法二四三条の諸規定を有名無実なものとし、申告納税制度の適正な運用を乱し、ひいては税務行政の執行に重大な支障を及ぼすこと必至であり、国家の利益又は公共の福祉に重大な損失ないし不利益を及ぼす結果となる。
もっとも、被告が本件文書に記載された事項について守秘義務を負う場合であっても、当該申告者が既に自ら秘密保持の利益を放棄若しくは喪失しているとみられる特段の事情があるのであれば、被告はもはや守秘義務を負わなくなると言えようが、本件においてはそのような特段の事情は存しない。また被告が訴訟上、本件文書を引用したとしても、そのことが右の特段の事情に該らないことはいうまでもなく、被告は依然として本件の文書の記載内容につき、守秘義務を負っている(浦和地裁昭和五四年一一月六日決定・訟務月報二六巻二号三二五ページ)ものであるから、本件文書について、被告に提出義務はない。
三 本件文書につき、申立ての前提である証拠としての必要性を認めることができない。
推計の合理性については、被告の側に立証責任があり、本件においては、被告は乙第二号証を所得率算出のための推計資料として提出しているにすぎないもので、これによって被告主張の類似要件の合理性自体がまず判断されるべきであるところ、これを超えて、本件文書により同業者の経済内容の詳細を比較しなければ合理性の判断ができないとか、原告の反証に困難をきたすというものでないことは明らかである。よって、本件申立はその必要性を欠くものであって不適法なものである(名古屋高裁昭和五三年三月一六日決定・訟務月報二四巻六号一三一一ページ)。
四 原告の、予備的な、本件文書につき氏名及び市町村名以外の住所の表示については、それを隠したうえでの提出を求める申立てはそれ自体失当である。
文書提出命令は、現存する文書原本自体を提出することを、その文書所持者に命ずるにとどまるものであるところ、右のごとく氏名及び住所の一部を秘匿した文書は、本件文書とは別個のもので現存せず、したがって被告は所持していないのであるから、そもそもその提出を命ずることはできない(大阪高裁昭和六一年九月一〇日決定・訟務月報三三巻五号一二三五ページ)のであって、原告の予備的申立ては失当である。
五 以上、いずれの点からみても、原告の本件申立ては不適法であり、速やかに却下されるべきである。